〜第三回〜
「対話式コラム」

宰相だも(以下だ):「・・・? 陛下、何の雑誌をぽーっと読んでるんですか?」

知皇帝(以下知):「ん? あぁ、別に読んでへんよ。
本を眺めながら、帝國の未来をやなぁ、色々と考えとったわけよ。」

:「・・・最近、可愛い女優でもいましたか?」

:「ぉ、見て見て、この苺みるく、っちゅう子がやねぇ
何でこんな可愛いのにAV出てんの?、って思わへん?」

:「・・・大方の予想はついてましたけど、そのまんまですか(´ー`;)
どのAVをレンタルするのか悩む前に、とっとと帝國の仕事をして下さい、全く。」

:「ちぃ、んじゃまぁ、Guessコラムの更新でもしよかな。
正直言うと、色々とネタは溜まってんねんけどな、話の流れ
んで、一番重要な会話の展開をどういう風に持っていこうか、って
迷ってる内に時間だけ過ぎてもうてね。」

:「コラムにして書きたいネタがあるのなら、このゲスコラム自体を
何も対話形式にする必要性は無いんじゃないんですか?」

:「確かに必要性は無いねぇ。 でも、対話形式にするデメリットよりも
メリットの方が、はるかに大きいんよね。」

:「その対話形式にするメリット、っていうのは一体何なんですか?」

:「まず第一に、俺の文章力の無さを補ってくれる点が大きいよね。
自分の考えてる事、自分が伝えたい事っていうのは
幾ら文字数を多くして書いたところで、100%、自分が思ってるままの考え方を
読み手に伝えるのは至難の技なんは解るよね?」

:「どんな文章を読んでいても、共通して言えるのは
書き手の実力がヘボい場合、文章を通じて何を言いたいのか判りませんよね。」

:「そういう場合、何で書き手の言いたい事が伝わらないか、判らないかというと
書き手の思考の流れがはっきりと読み取れない事が多いんよ。
原因は、言葉足らずだったり、突飛な思考展開に思えたり
簡単に言えば、思考の説明不足なんよね。

でも、対話形式の場合、
会話の流れ
というものが根本にあるから
俺の書き方が雑で説明不足の場合でも、
俺とだも会話の流れから、ある程度の
大まかな考え方の流れ
っていうのを行間から読み取りやすいと思うんよ。
だから、多少は理解してもらいやすいんじゃないかな?」

:「あぁ、なるほど。 文章の説明を補う意味での対話式なわけなんですか。」

:「そんで、もう一つの利点は、何と言っても読み易い点。
対話式の利点は、この点に尽きるといっても過言じゃないかも知れない。

例えば、どんなに良い文章、どんなに内容の濃い文章を書いたとしても
読み難かったり、妙に長かった場合、最後まで読んでくれると思うか?
文章の最初っから、人を惹きつけれる力があったら
こういう小細工をする必要もないやろうけどね。」

:「対話形式だったら、チャットのログ感覚で確かに読み易いっすよね。
でも、その場合、会話の流れを読み間違えられると、
全然話自体が見えてこないだろうし、
皇帝の言いたい事が、相手に伝わらない危険性もあるわけですよね?」

:「それがやっぱり大きなデメリットやね。
後、簡単に話しが逸れていき易いから、しっかりと構成を練ってやらんと
このコラムの主題は何なのか、何が言いたいのかが理解されないまま
読み終える事になってしまうんよ。」

:「コラムの主題を理解してくれなかったら、
全く以ってコラムの意味が無いですからねぇ。
コラムの中に、色々なアイデアを詰めるのはいい事だろうけど
はっきりとした話の本筋が無かったら、そのアイデア自体が活かせないでしょうし。

話の本筋が捻じ曲がってたり、ぼやけてたら、
コラムの主題の存在意義が薄れるし
色々なアイデアが邪魔で話の本筋を見失うし。」

:「ならそろそろ、このコラムの本題に入ろうか?」

:「え、『対話式コラムのメリット・デメリット』、が
このコラムの本題じゃないんですか( ̄□ ̄;)?」

:「対話式やと、こんな風に、どさくさに紛れて本題がこれから
述べられますよー、っていうのを伝えれるのがええよね(苦笑)。
というより、逆に途中で述べないと、気付かないかも知れないな。

ちなみに、このコラムでの本題を一言で示すなら、
『対話する事の重要性』
かな?」

:「・・・何か、めちゃめちゃまともな本題じゃないですか。
良いんですか? まとめきれるんですか?」

:「・・・失礼な。 ゲスヲタ萌えだけじゃなく
知的な一面を見せたろうやないか。」

:「普段は(とも)的な面しか見たことないんで、期待してますよ。」

:「・・・まぁ、ええわ。 人同士が会話する。
どの年齢の人も、それは極自然な事過ぎて、極当たり前事過ぎて
ピンっと来ないかも知れんけど、
『人と会話する事が、その人を人間にしてる』
っていう事が重要やねん。

例えば、1920年、インドのカルカッタの森で狼と一緒に生活していた二人の少女の話や。
この二人、幼い頃に狼に拾われたのか、その行動はまさに狼そのもので
発見されてから、施設で人間性を取り戻してもらおうと、色々と躾をしたらしいんやけど
結局、若くして狼っぽいまま死んでもうたんよね。
死ぬまでに覚えた単語も極僅か。

今、こういう事すると人権問題が大きく絡んでくるから不可能やねんけど
昔、どこかの国の王様が、
「もし、赤ん坊が誰とも接触せずに飯だけ食って大きくなれば
何語を喋るようになるんだ?」

という実験をした事があったんよね。
数年後して実験の結果、何語も話せない少年になってもうたんよ。
んで、不思議な事に、その少年も若くして死んだらしいけどね。

この二つの事例から言える事は
幼い頃に人と接して会話していなければ、
人として成長し得ない。 大きくなってから人になろうとしても、
それでは遅い
、ってことなんよ。

人と会話して成長していく
実はそれは何も幼い頃に必要なだけじゃなく
大人になっても充分言える大切な事なんよね。」

:「え、でもその事例は、日本人の赤ん坊でも、
アメリカで育ったら英語を話すようになるだろうし
アメリカ人の赤ん坊が
日本で育ったら、日本語を話すようになる。
幼い時に捨てられて、狼に拾われたから人の言葉が判らない、
何語も教えられなかったから、何も喋れない、
それだけの事じゃないんですか?」

:「その解釈からすると、だもの頭の中にある対話の図式は
A⇔B
これだけちゃう?」

:「AさんとBさんがコミュニケーション取ってる
そういう風に考えれば、それだけなんじゃないんですか?」

:「それでは大きく不足してる部分があるんよ。
俺が考える対話の図式っていうのは、
A (A⇔A’)⇔B (B⇔B’)
ってなるんよ。

カッコ内の説明をすると、
人、ここでは自分をAさん相手をBさんと考えて
Bさんと会話する時、自分の中の自分(A’)と会話してから、
Bさんに発言するっしょ?
Bさんから言われた事を一旦、A’と会話して、
「Bさん、こんな風に思ってんちゃうんかな?」
って色々と自分の心の中で会話するっしょ?
んで、当然、Bさんの中にもB’がいて、同じような事をしてるわけで。
そうなると、A⇔Bをより円満に、楽しくする為に
相手の思考、B⇔B’を何とか読み取ろうと考えたりね。

俺が思う対話の重要性の最たる部分は、
この自分の中の自分、言うなれば、それは自分の人間性、
その本人の人間性を構築・豊かにする事にあるんちゃうかな?

幼少の頃にある程度、人間性の基盤が構築されちゃうんやけど
その狼に拾われた少女二人は、構築すべき期間に
狼と生活していたから、人間性の基盤すら無かった。
だから、施設に保護された後に人間としての教育を施されても
殆ど身に付かなかったと思うんよ。
土台が無い状態で、その上に建物は建てられない、と。」

:「確かに、友達と喋る時、親や先生と喋る時、どんな時でも
自分の中にいる自分が、口調を変えさせるし、喋ってる最中に
色々と考えますねぇ。 それに、人との会話で、
自分の考え方とかまで影響される事ってありますよね。」

:「それは別に、人との会話だけじゃなく、
本を読んだり、テレビを見たり、Web上の他人の日記を読んだりしてても
そこに本の著者、テレビの製作者、ホームページの管理人との
対話が存在するわけやん? 相手の考え方、つまり
B⇔B’
媒体(本、番組、日記)を通じて読み取るわけやから。
だからこそ、人は色んな情報に影響されるんちゃうんかな。」

:「身近な例で言ったら、皇帝の影響で、
色んな人の人格が壊れ、ゲスになって、萌えている、ってとこですか?」

:「・・・まぁ、良い意味でな。」

:「つまり、皇帝に出会わなければ、皇帝に影響されて、
人格を疑われるようになる事もなかったのに、と?」

:「・・・もしかして、俺の人格、疑われてるん?」

:「・・・今頃気付いたんですか?」


幾ら何かを訴えようとしたところで、その人の人格が疑われていると
全ての事が疑われたりします。

その逆もまた然り。 人格がまともだと思ってる人の言う事は、考え無しに
信用してしまったり、信用している人の言葉は絶対だと思ってしまう。

対話。 そういう情報の判断能力を養う為にも、
この事を意識して、深い人間性を身に付けていって欲しいもんですな。